2024.12.28 (最終更新:2024.12.28)
朝日新聞のインタビューに応じる鈴木修会長(左)と俊宏社長(2017年撮影)
スズキは2024年12月25日に鈴木修相談役が94歳で死去したことを公表しました。葬儀は近親者で営み、後日、会社主催のお別れの会を予定しています。スズキを世界的な自動車メーカーへと成長させた功績と人となりについて、紹介します。
鈴木修氏は、1930年(昭和5年)1月30日に岐阜県下呂市で生まれました。創業家出身で2代目社長だった故鈴木俊三氏の娘と結婚し、婿養子として1958年に鈴木自動車工業に入社しました。
鈴木修氏はスズキ自動車工業に入社後、着実にキャリアを重ねていきました。
1963年11月:取締役1967年12月:常務取締役
1973年11月:専務取締役
そして、1978年6月には、4代目の社長に就任し、1990年にスズキに社名変更します。スズキの経営を40年近く率いていくことになります。
この間、軽自動車「アルト」やワンボックスカータイプの「ワゴンR」などのヒットを生み出し、インドにもいち早く参入を決めたことでも注目されました。社長就任当時、3000億円台だった年間売上高を3兆円超までに成長させました。
ムダを省いた効率的で高品質な生産現場の基本方針として始まった「小・少・軽・短・美」は、スズキの行動理念へと発展していきます。
2000年6月に取締役会長に退きましたが、健康上の理由で当時の社長が退任すると、2008年12月に取締役社長を兼務する形で復帰しました。
2015年6月に長男の俊宏氏に社長の座を譲り、再び取締役会長となり、2016年6月には燃費不正問題の責任を取ってCEO(最高経営責任者)を辞任しました。2021年6月から相談役となりました。
鈴木修氏は、国内外で数々の勲章や賞を受章しています。
1985年3月:スターラ・イ・パキスタン章 受章1987年11月:藍綬褒章 受章1993年5月:ハンガリー中十字勲章 受章2000年5月:勲二等旭日重光章 受章2002年11月:日本自動車殿堂入2004年5月:ハンガリー星付中十字勲章 受章2007年3月:インド パドマ・ブーシャン勲章 受章
2020年3月:ハンガリー大十字功労勲章 受章
鈴木修氏は2024年12月25日、悪性リンパ腫のため死去しました。葬儀は故人の遺志により、近親者のみで営まれました。スズキは「ご弔問の儀ならびにご香料、ご供花、弔電などの儀は固くご辞退申し上げます」としています。
後日、「お別れの会」が開催される予定です。日時・場所は未定ですが、今後、スズキから発表がある予定です。
- 杉本崇
- ツギノジダイ編集長
- 1980年、大阪府東大阪市生まれ。2004年朝日新聞社に記者として入社。医療や災害、科学技術・AI、環境分野、エネルギーを中心に取材。町工場の工場長を父に持ち、ライフワークとして数々の中小企業も取材を続けてきた。
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