宇野勝氏は落合中日で2004~2007年に打撃コーチを務めた
元中日、ロッテ内野手の宇野勝氏(野球評論家)は、古巣ドラゴンズの打撃コーチをこれまでに2度務めた。2004年から落合博満監督の下で5シーズン、2012年からは高木守道監督の下で2シーズンにわたって後輩選手たちをサポートした。1軍コーチ時代はすべてAクラスだった。指導者として根底にあるのは“落合指令”という。「『選手にあまり教えるなよ』って言われた。最初は“なんで”みたいに思ったけど、大正解だった」と言い切った。
1994年の現役引退後、宇野氏はネット裏で野球評論家として活動していたが、2003年オフに中日・落合監督誕生とともに指導者として古巣のユニホームを着た。中日での現役時代には5歳年上の選手・落合と行動をともにすることが多く“落合、宇野コンビ”と呼ばれたほどの間柄。今度は監督と1軍打撃コーチという立場になったが、久しぶりの中日での仕事に気合も十分だった。そこで待っていたのが「選手をあまり教えるなよ」との落合指令だった。
「最初は賛成じゃなかったよ。“えっ、なんで”って思った。だって、こっちはコーチとしてしゃかりきでいるわけじゃん。戸惑うというより、教えるのが当たり前だろみたいに思った。初めての時だったしね」。それがやっているうちに「『ああ、なるほどな』と感じることが多くなった」という。それどころか「変な話、すごくいい言葉だと思うよ」ときっぱり。高木政権下での2度目のコーチの時も落合方針のそのやり方を続けたそうだ。
「プロ野球の選手で、何も考えずに野球をやっている選手って誰もいないって。選手個々が考えて、考えて、個人で考えてやって駄目な時に初めて助けを求められて言うのはいいけど、いきなり教えてしまうのは、ってこと。落合さんはたぶん現役時代に“お前、それじゃあ打てないぞ”ってコーチに言われて、ふざけるなって思って3冠王を3回とったから、コーチに『あまり教えるな』って言ったんじゃないかな。俺はそれが大正解だったと思う」
それは監督・落合の姿勢にも感じられたという。「だって3冠王を3度もとったのに選手に指導していないでしょ。全然見ないでしょ。チームを救うために、チームを作るために監督になったんだと。教えるために監督になっているんじゃないということをよくわかった監督だったのかなってね。走塁であろうが守備であろうがバッティングであろうがコーチに任す、監督はチームのことをやるという感覚で割り切っていたと思う」。
宇野氏は“オレ流指揮官の世界”にいい意味ではまり込んだ。「コーチは指導者じゃなく、サポート役なんだっていうのは全体的に感じたね。それがいい方にも進んだと思う。キャンプでもゲームの流れでも選手の体調管理の部分はしっかり見といてくれということだけで……。落合さんはぼそぼそっとしか言わないし、選手とコミュニケーションをとった監督ではない。それがいい、悪いは別にして(2007年に)日本一になったり、成績を残したわけだからね」。
現在は野球評論家として活躍…中日・井上監督へエール
宇野氏は落合政権下の2008年シーズン限りで中日を退団。2011年オフに今度は高木体制で1軍打撃コーチに就任した。「当時、球団フロントだった井手(峻)さんから電話があった。それでもう一回やることになった」という。「高橋周平が(ドラフト1位で東海大甲府から)入ってきたけど、俺はある程度、本人に任せていたよ。他のコーチは試合が終わってからも教えていたけどね。まぁ指導してよくなる選手もなかにはいるだろうけど、落合流が正解だと感じるけどね」。
2012年、高木中日は2位から進出したクライマックスシリーズファイナルステージでアドバンテージ1勝の巨人に3連勝しながら、3連敗して敗退した。「あの時は日本シリーズに行けると思ったけどねぇ。で(中日4位の)次の年は俺、ファーム(2軍総合兼打撃コーチ)だったから1軍コーチの時にはBクラスの経験が1回もないんだよ」と笑みを浮かべた。2013年で退任してからユニホームを着ていないが、コーチとしても何かを持っているのかもしれない。
現在は野球評論家として中日を見つめる。「野手は若いのが伸びてきた。石川昂弥は20本以上のホームランを打てる能力があるし、彼がそれくらいやって細川(成也)がいて、岡林(勇希)がいて、福永(裕基)に村松(開人)も育てば外国人との兼ね合いにはなるけど、点数はとれるかな。ピッチャーは若いのが出てこないといけないだろうけどね。それから根尾(昂)君。ファンあってのプロ野球。彼が出ればまだまだ沸くんだから、頑張ってほしいよね」。
後輩でもある井上一樹新監督にも「3年間最下位だったっていうのがあるからやりにくさはないんじゃないかな。これ以上下がることはない。もう上がるしかないからね」とエールを送る。その上で「俺、バントとエンドランが基本的に大嫌いなんだよ。日本の野球はそれで優勝とかしちゃうから甘えちゃうんだけどね。先発投手の中6日も嫌い。それこそ中6日で100球とかあり得ない。これもちょっと甘えているんじゃないかと思う」と持論も付け加えた。
打力も守備力もハイレベルで、時々ポカもやる。実力も人気も兼ね備えた「ウーヤン」は中日を、日本球界を代表する野手の1人だった。「現役の時にさぁ、ノーアウト一、二塁かなんかで(4番の)落合さんが送りバントしたことがあったんだよ。当然サインじゃないよ。その後が(5番の)俺じゃん。無茶苦茶、プレッシャーがかかったよなぁ。犠牲フライで1点取れたけどさぁ」。66歳になった宇野氏の野球人生には語りきれないほどのいろんな経験が詰まっている。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)